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2016年11月8日火曜日

多良ふるさと通信 11月号

続いて ふるさと通信11月号 です。

今回も盛りだくさんの内容。
風土記は上石津に伝わる教如上人伝説。
教如上人は本願寺の門主・顕如上人の長男で、東本願寺の祖にあたります。
教如上人の時に、東西本願寺が分かれ、弟の准如上人が西本願寺の祖となりました。
このあたりの理由については、徳川家康が本願寺の勢力を恐れて、分裂させるために教如上人に土地を与えて東本願寺を設立させたのだとか、二人の母如春尼が教如を疎んでかわいがっていた三男の准如に跡を継がせたかったからだとかいろいろな説があります。

家康に接近していた教如は関ケ原合戦の際に石田方から狙われて、この辺りでは春日の一向宗の人々に助けられて、山奥深くかくまわれ、山を越えて滋賀から京都に落ち延びて行ったというのが一般的だと思っていましたが、上石津にもその伝説があったとはビックリでした。

真偽のほどはともかくとして、いろいろ想像力を働かせるとおもしろいですね。

ずっと前にお伝えした川地寿山の話も掲載しております。

通信には掲載できなかった写真も載せますので、それではご覧くださいね。

ちなみに最近は記名記事にしているのを御存じでしょうか?
記名のないのは私が書いておりますが、ぜひ、記名をごらんいただき、どんな人が通信をつくっているのか見ていただけると幸いです。

三輪=三輪重隆さん
川地=川地潤二さん

です。

なお、今回の「お月見とお話を聞く会」の記事は青少年育成推進員の
三輪寛さんよりいただきました。




寿山は比較的新しい時代の人ですので、その作品も色がとてもよく残っています。
以前、ブログで紹介した際、寿山は上原で生まれたと書いたかと思いますが、
東京のまちがいでした。
当時、寿山の家族は東京にいて、
後に父の転勤で上石津に戻ったそうです。
最期は大垣の林町で亡くなっています。

大平先生に詳しく解説していただきました。

このポスターと下の薔薇の絵は小寺登さんの御提供です。
寿山のサインがみてとれますね。



大神神社の絵馬は寿山の筆。
三輪雅務さんにお話をうかがいました。




上原の浄徳寺にて。
ご住職のお話。



一之瀬の本善寺の若坊守さんに
お話を伺いました。

本善寺には寿山筆の見事な白孔雀のふすま絵があります。


多良小学校校長室にある寿山の絵



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